ご協賛企業
株式会社ティア
代表取締役社長 冨安徳久 様
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今から15年ほど前
鹿児島県への出張帰りに初めて鹿児島県知覧にある『特攻平和記念館』に行きました。そこで読んだ特攻隊員の遺書。
文字が滲み霞むほど、涙が溢れて止まらなかった。
戦争なんて無い方がイイに決まってます。
しかし、史実として戦争・敗戦はあります。
遺書を涙で読み進める。
そこには命の尊さも儚さも、
そして、命の気高さも、無力さも、、。
抗えない時代とは言え、当時の若者達の魂の想いが
そこには綴られていました。
初めて行って読んだ知覧・特攻平和記念館の遺書。
あれから4回も知覧へは足を運んでいます。
あの時代の若者達の命は、家族を、愛する人を、そして、日本国の未来を想い散っていきました。
その魂の想いを表現したミュージカル『流れる雲よ』を通して少しでも多くの方々に知って、感じて頂きたいと願っています。
演劇集団アトリエッジ後援会 会長
ドクターセラム株式会社
代表取締役 吉川 育矢 様
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明日を必ず迎えられる幸せを改めて感じて欲しい。
78年前、真珠湾攻撃から第二次世界大戦がはじまりました。
終戦までに国内外で230万人の日本人兵士が戦死し民間人も80万人が亡くなりました。
そして沖縄も奄美大島もアメリカに占領されました。奄美大島は8年後に本土復帰、そして沖縄は今年で本土復帰51周年を迎えました。戦後の日本は国民の努力で目覚ましい復興を遂げ今では経済大国にまで成長いたしました。
戦争を知らない方々がロシアとウクライナの報道を見てもまるで映画のワンシーンのように捉えているようにしか思えません。
アメリカの研究機関が世界中の若者に国の為に戦いますか?と質問した所、日本の若者のNOと答えた回答が世界一位だったそうです。
火が付いた家の中に父や母、奥さんや子供達が取り残されていてもただ見ているだけでしょうか?優先席に堂々と座り目の前に老人や身体の不自由な方がいても知らん振りが何故できるのでしょうか?
腹が立つからと言っていとも簡単に人を殺せるものでしょうか?
生んでくれた両親にどうして暴言や暴力が振るえるのでしょうか?
おかしい、どう考えてもおかしいとしか言えません。
78年前、日本の若者は国を守る為、家族を守る為、飛行機やボートや潜水艦、又は爆弾を背負って特攻して行きました。日本の将来の為にたった一つの命さえも投げだして守ろうとしてくれました。彼らの思いを私たちは忘れてはなりません。
彼らに明日と言う未来はありませんでした。しかし、今を生きる私たちは必ず明日がやってきます。明日があると言う事は未来を作る事が出来ると言う事ではないでしょうか?
私も12年以上前に初めてこの演劇を観劇して以来、心を改め英霊の皆様に感謝を込めて毎年、仲間たちと靖国神社・各県の護国神社・知覧特攻平和会館・万世特攻平和会館・鹿屋基地・沖縄慰霊祭・全国の当時を語る記念館に行かせていただいています。
この演劇は、英霊の皆さんに感謝し、改めて自分の生きざまを必ずや見直すキッカケになる作品です。
もし、あの時代に生まれていたら、自分はどうしただろうか?
深く考えていただきたいと思います。
命つながる家系図 株式会社みそら
代表取締役 塩﨑 明子 様
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私の父は昭和16年満洲で誕生、5歳の時、苦難を乗り越え日本に引き揚げてきました。祖父の2人の弟は25才で戦死。祖父は満洲でロシア兵に拘束されシベリアで捕虜として抑留、3年後日本に帰還できたからこそ、今私はここにいます。満州から引き揚げた127万人の日本人の傍らで、犠牲となった軍民合わせて24,5万人もの命。戦争を知れば知るほど怒りと悲しみが溢れてきます。でも避けてはいけない。
歴史を知ること、そしてそれを繋いでいくことが今我々に託された役目だと感じるから。後世に語り繋いでいくために、この舞台をまず私たちが心に刻みましょう。「命の歴史」先人や祖先の苦労を知り、命をより輝かせて生きる為に。